二宮敦人「最後の医者は桜を見上げて君を想う」感想
二宮敦人先生の「最後の医者は桜を見上げて君を想う」を読みました
ネタバレ云々を書く前にまず1言を書かせてください。
久しぶりに本を読んで泣きました。
3編で作られている作品ですが、3編とも読んでいる最中に静かに泣きました。そして、読了後も泣きました。ワンワン泣くんじゃなくて、ほんのりと泣けました。
思い出しても泣けるレベルでこのブログを書いている最中にも泣ける。 比較的によくあるお話なのかもしれないので、読む人によっては「こなんよくあるから泣けんわ」という人もいるかもしれません。しかし私は泣けました。
以上、涙腺がバグった人の前書きでした。以下からはネタバレが広がっているので、「ネタバレが嫌だわぁ」という人はどうか読む事をご遠慮いただくようにお願いします。
書き終えてからほとんどがネタバレになってるなぁ、と思いました。2回目ですが、ネタバレ嫌な方はご遠慮ください。
あらすじ
舞台は武蔵七十字病院。この病院には熱心に患者を救おうとする副院長の福原と末期患者 からの面談を引き受け延命治療よりも患者本人がやりたいことを尊重する桐子が勤めている。
桐子と福原は大学が一緒で大学生時代は仲の良い間柄だったがいつしか考え方が全く違うようになった。副院長という立場である福原にとって「病院の印象を保つ」という点で桐子は邪魔な存在であった。なので、桐子をこの病院から追い出そうとする。
第一章 とある会社員の死
私自身病気について無知なので白血病がこのような病気だということに衝撃を受けました。多くの人がなりうる病気の一つの白血病。確実にとは言い切れませんがほとんど治ると言われている病気の一つ、という印象があるのが白血病です。あくまでこれは私の考えている白血病ですが。
しかし章名にあるようにこの登場人物の会社員雄吾は白血病になり亡くなりました。読みながら「死ぬんじゃない雄吾!お前には未来があるじゃないか!」と私は心の中で思いながら読んでいましたが亡くなりました。
雄吾には奥さんがおり子供がそろそろ生まれるという時期で仕事も順調で幸せな生活を入手出来かけて居た矢先に亡くなったのです。
よくあるお話の1つなのかもしれませんが、それでも作者の表現がとても綺麗なので十分に泣けます。
雄吾は治療法の選択しを与えられますが、それは全て確実に完治するというわけではなく何パーセントかの確率で成功し、何パーセントの確率で失敗すると伝えられます。
実際に「何パーセントの確率で失敗しますが、この際は直ぐにこちらの治療に切り替えて治療するので大丈夫です。そして、この治療も何パーセントの確率で失敗しますが…」と医者に言われた場合を想像してしまいました。「あぁ、失敗する確率はどこにでもあるじゃん。」と思う事でしょう。
医療に100%は無いんだなぁと。当たり前なのかもしれませんが、改めて思い知らされます。仮に自分が同じ立場になった時に少しでも助かる確率が高い方へ行くかもしれません。けれど、失敗はつきもので失敗した際に私も「あぁ、ここで死ぬぐらいだったら少しでも寿命が長い方へ行き、楽しい事をすればよかった」と考える事も事実でしょう。
そう考えると人ってのはいつか死ぬので今真面目に生きている事がちょっとだけバカバカしく感じてしまいます。 けれど同時に死ぬ前に少しでも後悔を残さないように真面目に生きることそして、時には真面目に生きないことが大事だと思いました。
第2章 とある大学生の子
とある大学生とは3浪しようやく医学部の大学に入れた女の子のまりえです。 第1章と同じようにこれから幸せな未来がある 女の子。まりえはある日、足がうまく動かない状態になり武蔵野七十字病院へ行きます
診断結果は ALS。筋肉が次第に動かなくなっていき最終的には呼吸もできなくなり死に至る病。そして、この病気は現代でも直す方法が解明されておらず医学部に入学するほど熱心に勉強していたまりえもこの病気について知っていた。もちろん「これから医者になる為に勉強するんだ!」と思っていたまりえは大変なショックを受けた。余命は半年と宣告される。
まりえを診断したのはまりえの進学した大学と同じ出身の音山先生。「同じ出身大学」という理由でまりえを気にかけ、まりえが退院後も自宅診療を行った。
もうね。第1章でも泣けたのに、更に重いの来ちゃったのかよ。と思いましたよ、私は。ALSは人工呼吸器をつけて延命治療をして少しでも生きる事を伸ばす事が出来ます。副院長の福原は「延命している間に治療法が見つかる可能性がある」という事で延命治療すべきと言います。
しかし、まりえを診断していた音山は「無理やりにでもまりえを延命治療すべきかどうか」を桐子に相談したり自分でも考えたりしました。
そして、まりえは延命治療をしない選択を自らしました。音山はまりえの選択を尊重しました。
3浪しているからと言ってまりえはまだ20代ですよ。
両親も医者でお金には不自由がなく、両親の意見はもちろん延命治療をして出来る限り命をつないでほしいという事でした。その中でまりえは延命治療を選択しませんでした。確かに延命治療は本人も見ている周りの人にもつらい思いをさせるかもしれません。それでも普通の20代ってのは生きて居たい年齢だと思います。
そして、そのまりえの意思を尊重した音山先生もどこかで「延命治療して欲しい」と思う所もあったでしょう。それを言葉に出さなかった音山先生がかっこよい。
作品中にも有りましたが、この姿は医者でしょう。ALSを患って大学へはほとんど通えなくても医者の姿をしていました。1番泣ける章がこの2章だと思います。そして、第3章を引き立たせるのがこの2章でもあります。
第3章とある医者の死
とある医者は第2章でまりえを診察した音山先生です。「福原が桐子を追い出したい」という所から「あぁ、ここで桐子が亡くなり、福原が「ごめん、お前の事誤解していたようだ」みたいな上手い感じのハッピーエンドになるのね」と勝手に予測しましたが、亡くなるのは音山です。
第3章の冒頭で桐子が風邪引いて音山から診察受けるシーンが有るからそういう風に思った人は私だけではないはず。
桐子を診断中に音山が血を吐き、すぐに福原が音山を診察し音山が癌であることを発見する。その癌の手術は喉の声帯を取る手術で、声が上手く出せなくなる手術だった。音山はおばあさんに電話をし、おばあさんが喜ぶ事が好きで、「声が出なくなる」というのは選びたくない選択だった。
福原は「何としても命をつなぎ留めたい」という考えで、桐子も「体力がある内に手術をし生きるべき」という考えだった。音山はやっとの思いで決意し手術をする事にしたが、既に転移しており手術が出来ない状態になっていた事が、手術直前に判明する。
福原は放射線の治療等で癌を小さくする方針を立てたが、音山はそれでもなお「おばあさんと電話をするために声が出せる状態」を望んだ。そして、桐子は音山の意見を尊重した。もちろん、その事に対し福原は桐子に激怒する。
正直、人の命なんだから患者自身の選択をもう少し尊重してくれよ、福原。と思いましたが、医者という立場ってのは患者を早死にさせる立場ではなく、患者を治療する立場。その点を考えれば福原の考えは間違ってはいないと思った。
もちろん、桐子も患者と患者の家族の前で余命をスパっと宣告するのも「何だかなぁ」と思いますが、「これからの時間がこれだけ有ります。なので、大事に使っていきましょう、後悔しないように」という考え方だと間違っていないのかもしれない。
「最後の医者は桜を見上げて君を想う」オススメな人
正直、「こんな人にオススメ」と書く事が難しい本でした。もちろん、「全員にオススメ」と書く事も出来ない。少なからず実際の医療現場で働いている方は「こんなに世の中上手くいかないぜ」と思われると思う。
「生き方に迷っている方にオススメしたい」とも最初は考えましたが、私自身「生き方迷った事」が無いですし、確かに本の内容は重い内容でしたがそこまででもない。かと書いて「この本軽い内容だよ」とも書けない。
病院が舞台の本を読んだ事がほとんど無く「医療系の小説を読んでみたい!」と思った方にはオススメしたい本の1つではあります。