櫻いいよ「君が落とした青空」感想
櫻いいよ先生の「君が落とした青空」という青春ラブストーリーと少しのSFが入った本を読みました。
私は青春時代に恋愛が一切無い生活を送ったために、青春をだいぶ通り過ぎてから小説や漫画やアニメで青春を補充しています。ドラマはほとんど見ません。
高校生の時のクラスメイトは30人近く居たけど、男子は2人だけだったからね。かつ、1人は途中で留年したからね。最終的に男子は1人だけっだったからね。ハーレムという状況である意味憧れる人も居るのかもしれませんが、常に荷物持ち扱いだったよ、彼は。
因みに中学生の時はいろいろとこじらせていたので、青春どころではありませんでした。大学には青春は有りません。
そんな青春時代を過ごした私が櫻いいよ先生の「君が落とした青空」の感想を書きます。
あらすじ
付き合ってから2年が経過する高校生の実結と修弥。2人の共通の趣味は映画観賞。
ある日修弥が「放課後映画を見に行こう」と実結に言い、2人は授業後に映画館へ行く事になる。
映画を見に行く途中で修弥の携帯に着信が入る。修弥は急用が出来てしまったので映画へ行けなくなってしまう。
実結は急用の内容を修弥に聞くが修弥は答えようとしない。以前から実結は修弥が実結以外に別に1人好きな人が居るという噂を聞いていて、その好きな人に会いに行くのではないかと思う。
修弥は「来週映画を見に行こう」と伝え、半ば強引に実結から離れる。
直後にトラックの音がし、修弥は交通事故に巻き込まれてしまう。実結は修弥の元へ駆け寄るが、気づくと朝になっていた。
感想
ライトノベルとか、ライトノベルじゃないとかあまり私は気にしません。そもそも分かりません。しかし、この作品「君が落とした青空」は元々携帯小説だった物を、縦書きにした作品です。
それ故なのかどうかは分かりませんが、思いっきりライトノベル感がしました。難しい言い回しは一切無く、キッパリしている書き方なので、サクッと読めます。
時々短いフレーズを畳みかける所があるのですが、「あぁ、確かに携帯小説からやって来たね」というのを感じます。そんな私は携帯小説を読んだ事は有りませんので、「きっとこれが携帯小説だろう」と思っています。
ヒロインの実結は1日の終わりが修弥が事故に巻き込まれ、気づくと朝になる風景を7日間繰り返します。何故、同じ毎日が繰り返されていたのかは解決していません。私の中では、ファーストフード店でぶつかって来た男性が怪しいなぁと思っていますが真相は不明です。
その辺りを知れたら良かったなぁとは思っています。
同じ1日を7日間繰り返しているわけで、7日間とも朝ごはんがカレーです。朝カレー一時期流行りましたが、その時代の話でしょうか。
私のような直ぐに飽きる人は途中から読む事を多少飽きます。ところどころ「あー、また同じ事ね」となりながらも全部読みましたが。
飽きる人は飛ばしましょう。1日目と6日目と7日目を読みましょう。だいたいは分かります。気になれば7日目を読んだ後に読めば良いのです。
7日目に全ての泣ける部分が詰まっていると書いても過言ではありません。
最終章の7日目を読んで
小学生でも書ける感想になりますが、大好きな人や大事な人と別れる時は出来るだけ笑顔で居ようと思いました。
私自身、ひねくれている所があって、大人になった今でも面白い事に対して素直に笑ったりが上手く出来ません。母を代表とする家族と喧嘩した後の上手い仲直りの方法が分かりません。
けれど、改めて出来る限り分かれる際には笑顔で居たいと実感させられました。別れ際に笑顔で「また会いましょう!」素直に言える人になりたい。また、素直に言える人には本当に尊敬する。
7日目の朝、実結は母にお礼を言うシーンがあります。高校生の時に私は何回お礼を母に言えただろうか。とふと考えさせられました。何度お礼を言う場面が私に有って、見逃して来たのだろうか。もしくは、見て見ぬふりをし続けて居たのではないかと。
また、家族が居るなら出勤または登校の時に「行ってきす」と笑顔で伝える事が大切かなと。
もしかしたら出先で事故に巻き込まれ再び会う事が出来なくなった時、最後に見た顔が泣いてる顔だったり、怒っている顔だったら嫌。
仮に喧嘩していて仲直り出来て居ない翌日の事故で亡くなった場合、「どうしてあんなにくだらない事で怒ってしまったのだろう」という後悔が残ります。後悔ってのは最長で死ぬまで続きます。
事故に巻き込まれた側も嫌だと思う。最後に大切な人に見せた顔が中途半端な顔ってのは。
しかし、実結と修弥はこの先上手く行くかはなかなか怪しい所。今回は原因不明で同じ日を7日間繰り返す事が出来ました。仮に次に口論になった時も同じ日を繰り返せるかどうかは分かりません。
少なからず、私には同じ日を繰り返す能力は持っていません。1日1日を大切にしろと世の中の偉い人は言いますが、常に意識出来る人は世の中にどれだけいるでしょうか。
せめて、大事な人と居る時ぐらいの数時間は大切にしようと思う。